11月と12月にメール・マガジン、クラン・コラに出した、夏のアイルランド旅行記をこちらに転載するのを忘れていましたので転載致します。
まずは11月分。
ゴールウェイの数日を楽しんだ後はエニスへ。
エニスへの道のりはバスの予定だったのですが、何とあの素晴らしいフルー
ト職人、ヴィンチェンツォ・ディ・マウロが自分もミルタウン・マルベイに行
くからと途中のエニスまで車で送ってくれました。
話はちょっと逸れますが、今回の旅は言語的コミュニケーションの重要さと
自分の言語能力の未熟さをあちこちで痛感した旅でもありました。
特に仲間と合流する前の一人旅の時は言語の壁は殊更重くのしかかりました。
セッションでがんがん楽器が弾けるとそれだけで言語の壁を越えられるなんて
思われがちですが、この国結構その辺りには厳しくて、演奏の合間にいかにも
日本人宜しく控えめに黙りこくっていたりすると、「あいつは音楽はいいけど
ユーモアが無いからダメだな」なんて陰でけちょんけちょんに言われたりしま
す。
逆に音楽がそこそこでもコミュニケーションを積極的に取る人の方がうけは良
かったりさえするのです。
だから、こちらから何とかして積極的にコミュニケーションを取ろうとしな
ければならないのですが、セッションの合間のチャットというのが難易度が高
くて、同時多発的にしゃべるわ、速いわ、きちんと文章になってないわ、ジョー
クが入るわ、訛りが強いわ、酔っ払ってて滑舌が悪いわで、ほとんど何の話を
しているかもわからないことが多々ある程です。
ところが、いいミュージシャンは大抵演奏と同じ位チャットを楽しみたがりま
す。
演奏と演奏の間が長くなるのです。
そんな訳で最初はとにかくセッションの間のチャットが恐怖で仕方がなかっ
たのですが、仕方ないので隣の人を捕まえてこちらから質問攻めにすると随分
ましになるのですね。
一対一に持ち込める上、会話の内容を質問によって制御しやすく、予測が立ち
やすいのです。
この方法をダブリン在住の日本人の方から習ったことを今でも感謝しています。
話は戻りますが、ヴィンチェンツォとの2時間のドライブは、これがちっとも
苦になりませんでした。
お互い母国語ではないということもありますし、フルート職人なので会話も弾
む訳です。
この時既に彼のフルートを吹いてその素晴らしさを知っていたのですが、彼が
いかに研究熱心かを会話を通して知って、帰国したら自分がこのフルートを日
本に広めると約束。
余談になりますが、お陰様で大好評の彼のフルートは既に日本から6本の注文
が入っています。
そんな楽しい会話もあってエニスまではあっという間に到着。
エニスでは、ここ何年もお世話になっているジョン・リンと日本人の奥さんの
みわさんの家に一晩だけ滞在しました。
ここは自分にとってアイルランドで一番落ち着く場所の一つ。
みわさんの繊細な心配りとジョンの人懐こいキャラクターで幸せいっぱいにな
ります。
ジョンは凄腕の弁護士であると同時に有名なフルートの名手でもあります。
今回コンペティションに出るにあたってホーンパイプについて色々悩んでいる
と持ちかけると、忙しい合間を縫ってレッスンをしてくれました。
この時習ったことは主にリズムについて。
それまでの自分にとっては真逆の発想で、それからしばらくの間これに悩まさ
れることになるのですが、最終的には非常に重要な発想の転換になり、今なお
演奏の軸になっています。
これが今回アイルランドに来て最初のレッスン。
この後、何人もの先生に習い、最終的に何と11人もの先生に習うことになりま
す。
その日の夜はジョンに連れられてセッションへ。
最初はメアリー・マクナマラの弟、アンドリュー・マクナマラのセッションへ。
ここには翌々日からウィリー・クランシー・サマースクールで習うことになる
有名なフルート・プレイヤーにしてフルート職人でもあるエーモン・コッター
も来ていました。
ジョンがエーモンに「いいか、この顔を覚えろ。こいつをおまえのクラスで教
えろよ?」と言ってしまったために幸か不幸か翌々日から始まるウィリー・ク
ランシー・サマースクールの先生は彼に決定。
フルートの先生だけで20~30人はいる中でもはや選択の余地なし(笑)。
もっともエーモンはどこへ行っても大体一番上のクラスを受け持つ非常に優秀
な先生であることが、後に色々な先生のレッスンを受ける中でわかってきます。
話はセッションに戻りますが、このセッションは1時間そこそこで途中で抜
け出し、23:30から別のパブで始まる別のセッションへ移動。
このセッションはジョンもホストの一人なのですが、テンポが比較的ゆっくり
と言われるカウンティ・クレアのエニスにおいて最速と言われる過激なセッショ
ン。
しかし、他のホストもジョンと同じ位かあるいは年上で、40~50歳代。
あるいはもっと上か。
普通はテンポがゆっくりになってもおかしくない年齢ですが、鬼のように速い
テンポ。
それでもリズムがつぶれないので嫌な感じはしないのですね、不思議と。
ただ速いだけとは違う。
ここが本当に紙一重で全然違うんですよね、いいセッションって。
夜が更けるにつれてあちこちから若いミュージシャンが増え、若くはないで
すが(笑)先程のアンドリューなんかも自分のセッションを終えてこちらに合
流。
要するにあちこちでセッションを一つ終えたミュージシャンが続々と集まって
くる訳です。
この夜はこれが深夜まで続き幕を閉じる、…と思ったら大間違い。
深夜2時過ぎにパブが閉店するや、ミュージシャンだけが数軒となりのアパー
トメントに雪崩れ込んで行く。
しばらくは何が何だかわからなかったのですが、そこは誰かミュージシャンの
アパートメントの共用のリビングとのこと。
その内にまたセッション開始。
長屋のように連なって、同じように小部屋がたくさんある建物で、こんな夜中
にこれだけ大きな音を出して大騒ぎするのが問題にならないということが未だ
に不可解でならないのですが、この時のこのセッションは本当にレベルが高く、
とりわけリーダー的存在のフィドルの女性とブズーキの男性は、その中でもず
ば抜けた演奏レベルの高さ。
誰なんだろうと思っていたら、フィドルは大御所フィドル奏者、トミー・ピー
プルズの娘、シボーン・ピープルズ。
以前より一度は会ってみたいと思っていた人でした。
まだ30歳代前半にも関わらず既に父親より上手いという評判で、これまでにど
れだけの人から彼女の噂を聞いたか知れません。
また、彼女の影響を受けているというフィドラーにも何人も会いましたが、残
念ながらおぼろげながらスタイルの概要がわかる程度で、その魅力まではよく
わからないという感じでした。
ところが、実際に本人に会ってみるともうこれが桁違いのうまさで、スタイル
云々というよりは彼女自身の演奏自体の魅力と言う方が適当かもしれません。
とにかく運動能力の高いプレイヤー。
食いつきが鬼のように早く、それでいて落ち着いた堂々としたテンポ感で、レ
パートリーも果てしなく広く、まだ30歳代半ば位ながらセッションをグイグイ
引っ張る感じ。
これは色んな人が彼女に影響される理由がわかる気がしました。
一方のブズーキ奏者、名前はブライアン・ムーニー。
彼もまた素晴らしいプレイヤーで、ジョン曰く、今アイルランドで一番上手い
ブズーキ奏者であるとのこと。
実は彼はバンジョーもべらぼうにうまくて、バンジョー1本でパブ中のお客さ
んの視線を釘付けにするような実力の持ち主。
…ということがわかったのは翌週のウィリー・クランシー・サマー・スクール中
のセッションの話。
そして、実はシボーンしかり、ブライアンしかりなのですが、この夜この部
屋でセッションをしていた若いミュージシャン達の中には、翌々日から始まる
ウィリー・クランシー・サマー・スクールでチューターを務める人が何人もい
たのです。
そんな豪華なセッションを朝まで楽しみ、いい加減夜も明けてきてセッショ
ンも終盤といった頃、シボーンやブライアン、そして、ジョンまでもが口を揃
えてこう言いました。
「コウゾウ、明後日から始まるウィリー・クランシー・サマー・スクールのこ
とはもう忘れろ。今日のこのセッションよりいいセッションに出会えることは
絶対に無い。今日のセッションがベストだ。本当にいい音楽が生まれるのはフェ
スティバルでもパブのセッションなんかでもなくて、こういうシチュエーショ
ンなんだ」
実際、ウィリー・クランシー・サマー・スクール中、これを超えるセッショ
ンはありませんでしたし、2ヶ月半の滞在を通しても3本の指に入る位の質の
高さで、何とも貴重な体験をさせてもらいました。
フェスティバルは1週間いても、いいセッションに出会えるのは1度か2度あ
るか無いかと言われる位で、本当にいいセッションは実に少なく、それ故に1
度いいセッションに当たると、それ以降は若干諦めの境地が入ってくるのです
が、まさかフェスティバルが始まる前にそんなことになってしまうとは予想だ
にせず、嬉しい反面、フェスティバル中は何ともガッカリするような複雑な気
分でした。