アイルランドにおります。
今はゴールウェイへ移動中のバスの中。
以下は週末にも配信されるメールマガジン、クラン・コラに掲載される記事と同じ内容です。
ご報告の意味で先にこちらに掲載させて頂きます。
「新たな時代の到来」
今年のフラー・キョールの挑戦が終わりました。
フラー・キョールとはCCEが主催するアイルランド最大の音楽祭。
その目玉は世界中から勝ち上がってきた人々によるコンペティション。
このコンペティションで優勝するといわゆるオール・アイルランド・チャンピオンになる訳です。
自分は、地方予選が開催できない地域の諸外国からの特別枠で、二年前に日本人として初めて本戦に出場して以来、今回が三回目の挑戦になりました。
今年参戦したのは18歳以上の部の、フルート部門、ホイッスル部門、フルート・スローエア部門、ホイッスル・スローエア部門の4つ。
結果から言いますと今年は完敗でした。
蓋を開けてみれば想像を絶するハイレベルな戦いだったのです。
台風の目はオーラ・マッコーリフという18歳になったばかりのロンドン在住の少女(18歳に少女というのはどうかと思うかもしれませんが、実際本人に会って話してみると本当にあどけない感じなのです)。
10歳位の時に12歳以下の部門で圧倒的なテクニックで優勝して以来、年齢別のコンペティションをことごとく勝ってきた神童がついにシニアまで上がってきました。
今年も審査員が呆れる程の圧倒的なテクニックで、結果的には勿論、フルート部門、ホイッスル部門とも彼女が優勝したのですが、何と彼女の独り勝ちではなかったのです。
特にフルート部門は、2位になったトミー・フィッツハリスと決着がつかず、リールだけをもう一度演奏するように要求される程肉薄した戦いでした。
そして、この二人だけでなく、上位4人は一様に手が付けられない程の圧倒的なテクニックの持ち主という、今までに見たことがないような展開だったのです。
審査員に、今まで見たことがない圧倒的な才能、時代は新たなカリスマを迎えたと言わしめたオーラ・マッコーリフですが、スタイルの話で言えば、非常に直線的でダンスを踊りやすい音楽とは言い難く、2位のトミーの方がスウィングがあってダンサブルで、恐らくより伝統的な審査員好みのスタイルだったはずで、再決戦になったのは、そういう思惑があったと思われるのです。
しかし、オーラの驚異的なフィンガリング、際限なく創造性あふれる変奏、安定した豊かで美しい音、それらを何の気負いもなく当たり前の様に繰り広げるその様は、スタイル云々の有無を言わせない程の説得力がありました。
おまけに再決戦のリールで、同じ曲を演奏したトミーに対し、オーラは別の難曲を平然と演奏し、さらに圧倒的なテクニックと展開の幅の広さを見せつけ、最終的にはオーラに軍配が上がりました。
審査員が言ったように、新しい時代が来たと言ってよいと思います。
勿論、これはたかがコンペティションの中の話だけで、コンペティションに優勝したからといって即素晴らしいミュージシャンかというと全くそんなことはありません。
コンペティションは伝統的な語法とその技術を審査するだけであって、そこから外れればどれだけ聴衆を魅了する音楽性を発揮しようとも勝てないからです。
実際、オーラのライヴを二時間聴くということになった時に果たして面白いのか、飽きてしまうのかわかりません。
あの素晴らしい変奏の数々が彼女自身が考え出したものなのか、はたまた他にブレーンがいるのか、どれ程作り込まれたものなのか、はたまた即興でもある程度できるのか、それによってもミュージシャンとしての資質はまるっきり変わってくるでしょう。
しかし、これまで伝統的な語法を保守するために、それに則ったスタイルを重視してきたコンペティションが、オーラの演奏を認めたということは、コンペティションにおいてテクニックがスタイルを凌駕し得るということを意味します。
実際、彼女の展開した変奏の中には、これまでのコンペティションではやり過ぎとか伝統的な語法から外れていると見なされ得るものがかなりあったのですが、それを今回認めたということは、以降これを認めて行かざるを得ないということになります。
勿論、毎年審査員は違うので、必ずしもそうはならないという向きもあるかもしれませんが、来年以降コンペティター側ではこれがスタンダードになっていくことでしょう。
そして、何年もそれが続けば審査員が変わろうとも認めて行かざを得ない。
見方を変えれば伝統の崩壊と言うこともできるでしょう。
これがいいことか悪いことかはわかりません。
いずれにしてもオーラの出現は、フルートの神様マット・モロイとか、フィドルの地方スタイルを破壊する程人気だったマイケル・コールマンレベルの衝撃と言ってよいかと思います。
実は奇しくもコンペティション前日に、マット・モロイにも影響を与えた伝説的フルート奏者、シェイマス・タンジーがストリートで大勢の聴衆の前で演奏しているところに遭遇し、なぜか初めて会った彼に前に呼び出されて一緒に吹くことになり、その後数時間も共演する幸運に恵まれたのですが、翌日のコンペティションに参加することを告げると、二言目にはオーラを知っているか、彼女は素晴らしいと賞賛する程だったのです。
テニスの世界等では、5年前に先人が何とか成し遂げていたことが、5年後には当たり前になるという程、技術の革新が激しいのですが、そこまで速いとは言わなくても、確実に技術は向上の一途を辿るでしょう。
近年、ボタン・アコーディオンやバンジョー、コンサティーナに人気を取られ、立ち遅れていた格好だったフルートに新たな時代が到来しました。
これが音楽そのものにどう影響を及ぼしていくか楽しみでなりません。
今回個人的にはぐうの音も出ない程の完敗だった訳ですが、不思議なことに過去二年とは違った清々しさがありました。
伝統的な語法とかスタイルとかはある種非常にわかりにくい部分で、大体は聴衆の中でも賛否両論、腑に落ちない結果になることが多いからです。
それからすると今回は火を見るより明らかで納得もしやすく、また同時代にこれ程たくさんの素晴らしいミュージシャンと出会えたことを嬉しく思う自分がいました。
そして、人間ここまでできるのかと新たなやる気を呼び起こされたのも確かで、勿論ああいうテクニックを追求するつもりはありませんし、実際難しいとは思います。
自分は村上春樹が言うところのルービンシュタインよりはゼルキン、すなわち何も考えなくても呼吸するように何でもできる生来の音楽家というよりは、血のにじむような努力を重ねて音を磨き上げていった結果、前者が出せない音の重みをつくり上げる、そういうタイプだと自認しているからです。
しかし、それでももっと自由になれるという発想をもらえたといったところでしょうか。
オーラやトミーとの出会いは素晴らしいものでした。
そして、もう一つ、スローエアに関しても、今年は去年に比べて遥かにハイレベルで、眠い演奏、大丈夫かなという演奏ばかりだった去年までとは全く違った展開でした。
オーラはこちらは3位で、上位3人とも女子というのが特徴的でした。
近年、男子に比べて女子はパワーの絶対量が少ないために、女子の方が吠えるようなパワフルな演奏をし、男子の方がちょっと抜いた柔らかい音を使うという傾向があったのですが、最近はちょっと変わってきていて、逆に男子が線の細いひ弱な感じか力任せの荒い演奏になり、女子が音量だけでなく豊かな音を出してくるようになるという、何だかJ-POPのボーカルのような話になってきました。
これは女子の方がよりうまく効率よく楽器を鳴らせるようになってきたということだと思います。
今年のスローエア部門は、ルイーズ・マルカヒーという小柄ながら屈強な音で吹く女性フルート奏者だったこともあり、この豊かな音をというのが大きなキーポイントになっていたようです。
しかし、それに加えて自分はまだまだスローエアというものを本当には全然わかっていないのではないかと思う部分がありました。
それは言ってみれば、日本の名曲「朧月夜」の歌詞無しの楽譜をアイルランド人に渡した時に、歌詞や歌い回しを知っている日本人ならまずしないようなところでブレスをしたりするような、そんな彼らの感性に生理的に合わないようなことを知らず知らずのうちにまだやってしまっているのではないか、そんな気がするのです。
そして、恐らくお能の謡いのように、理屈でなく、口伝でひたすら目の前で謡う師匠の真似をして、身体に染み込ませて、それで初めてわかってくる世界がある、そんな気がするのです。
そんな訳で、今回は結果的には入賞もできませんでしたが、これまでになく収穫の多いフラー・キョールでした。
ちょうどこれを書いている月曜日は、フラー・キョールで最もいいセッションが展開される日。
残り数日、アイルランドを満喫して帰りたいと思います。