ウィリー・クランシー・サマー・スクール

続いて12月分。

エニスの濃いセッションから一夜…は既に明けていましたが、まあ一眠りした
後は親切なジョン・リンに送ってもらってミルタウン・マルベイへ。

いよいよ噂に名高いウィリー・クランシー・サマー・スクール(以下WCSS)
に参加です。

着くなり驚くのは人の数。
小さな村に、まぁ集まる人集まる人みんな楽器ケースを持っている訳です。
それだけで何だか楽しくなってしまう光景。
この1週間がどのように展開されるかを大雑把に並べてみましょう。

まずは朝10時から午後2時までワークショップ。
ホイッスルだけで30人位先生がいるような、おかしいんじゃないかという位の
規模の大きさ。
前述の通り自分は選択の余地なくエーモン・コッターのクラスへ(笑)。
しかし、なるほど、彼はあちこちでトップのクラスを担当することからもわか
るように非常にいい先生で、おおよそアイルランド人らしからぬ緻密さを持っ
ており、チューンは勿論、呼吸法からストレッチに至るまで隙なく網羅するレッ
スンを展開。

よく知られているように、トップクラスのフルート職人でもあるので、当然
楽器のメンテナンスについても教えてくれるし、調子の悪い楽器についてはメー
カー問わずその場で直してくれる気前の良さ。
そして、これはどうもフルート職人に共通するようなのですが、キーワークに
強い。
やはり自分でキーをつくっている訳ですから、つくったものはフルに活かした
いという思いがあるのでしょう。

半音階を自由に使いこなすのは勿論、エーモン自身ジャズへの造詣が深いよ
うで、パッと吹き始める時の音出しの音階がおかしい(笑)
一体何の楽器で何の音楽だというような。
そんな様子を見て何日目かにキーワークについて個人的にでもいいから教えて
欲しいと申し出ると、何とキー無しの生徒が多いにも関わらず、将来みんなに
必要だからとわざわざクラスの中で扱ってくれる。
そして、ここからこの夏のキーワーク特訓が始まります。

実は自分はキー付きのフルートを手に入れたのが昨年3月で、それまではキー
無しの笛を吹いていたため、また、逆に移調楽器の持ち替えは苦にならず、必
要があれば他の調の笛に持ち替えればそれで済んでしまっていたため、キーワー
クだけ赤子並みにレベルが低かったのです。

と ころがこのエーモン・コッターのレッスンを皮切りに、トム・ドゥーリー
やキアラン・マネリーといった凄まじいキーワークのプレイヤーのレッスンを
受ける機会に恵まれたり、フェスティバルのセッションで卓越したキーワーク
を持つドイツ人の若いプレイヤーに会ったり、ダブリンのセッションでスタン
ダードな曲が意味不明な調で演奏されたりということを通して、まあ嫌という
ほどキーワークをしごかれることになります。

まだまだ練習しなければならないのは今でもそうですが、少なくとも随分苦
手意識は減り、敬遠していたものがぐっと近くなったのは間違いないと思いま
す。

話は戻ってWCSS。

レッスンが終わって遅い昼食を食べると、大抵の人はもうぼちぼちセッショ
ンにという感じになるのですが、自分が今回ラッキーだっのは日本人のダンサー
さん達と同じB&Bに滞在していたこと。
お陰でただレッスンとセッションの繰り返しではなく、夜はケイリー(ダンス
パーティ)に連れ出してもらって、かの有名なタラ・ケイリー・バンドやキル
フェノーラ・ケイリー・バンドの伴奏でセットダンスを踊ったり、あるいは昼
間マイケル・タブラディーさんが主催する非公式のステップダンス練習会に参
加させてもらって、珍しい種類のダンスを見たり、マイケルさんと一緒にフルー
トを吹いてダンスの伴奏をしたりさえしました。

おまけにこれがきっかけでメインの大きなホールで行われるダンスの発表会
でダンスをいくつも伴奏させてもらえたりと、本当に貴重な経験をさせてもら
いました。
同じ発表会でオールド・スタイルのソロ・ステップ・ダンスのトップ、パトリッ
ク・オデイさんや、名前は忘れてしまいましたがシャン・ノース・ダンスのトッ
プダンサーのダンスを見ることができたのも衝撃的でした。
この次々に続く名人達のダンスを、一人で延々と伴奏していくメロディオン
(一列だけのボタン・アコーディオン)のおじいちゃんの姿も目に焼き付いて
離れません。

こうして、自分はあれよあれよという間にダンスの伴奏という、これまでし
ばしば機会がありつつも本当の魅力を知らずに来たジャンルにどっぷりはまっ
ていくことになります。

実際、帰国後、CCE JAPAN 主催のシャムロック祭のケイリーに合わせて新し
く少数精鋭のケイリーバンドを立ち上げ(この少数精鋭のケイリーバンドとい
う発想も現地のそういうバンドを見るまで頭にありませんでした)、お陰様で
熱狂的な大好評を頂き、ソロ・ダンスの伴奏と合わせて新たな活動ベースにな
りつつあります。

一方、セッションは参加しなかったのかというと、そんな訳もなく、毎日ど
こかのセッションに参加はしていました。
しかし、いいセッションを見つけるのが実に難しい。

これにはいくつか理由がありますが、まず一つには規模が大き過ぎること。
ミュージシャンも観光客も多過ぎて中心街のパブはどこも満員電車状態で店内
に入るのも一苦労。
サマースクールが中心のフェスティバルだけあってミュージシャンのレベルも
まちまち。
せっかく苦労して入ってもセッションはぐだぐだということも珍しくはありま
せん。

二つ目に地域性が低く、セッション・ホストの設定がないこと。
大概のパブで自由に気軽にセッションが始められるというメリットはあります
が、無法地帯と言うこともでき、これもセッションの質を下げる要因の一つ。
いいミュージシャンはこの辺りを熟知していて、中心街にはろくなセッション
が無いことをよく知っており、中心街から遠く離れたパブへセッションを求め
て行きます。

結局のところ、中心街から遠ければ遠いほど、また、時間が遅ければ遅いほ
どいいセッションが多くなっていく訳ですが、この遠くというのが車が無けれ
ばとても行けない距離で、最も遅いセッションになると明け方近くになるため、
レッスンへの参加が難しくなってきます。

地元民や常連さんによると、数年前から規模がどんどん大きくなり、反比例
するように質が落ちてきたのだとか。

そんな中、この1週間で一番良かったセッションは、去年のフラー・キョー
ルで出会ったオーインという柔らかくてうまいフィドル弾きの青年と再会して
始まったセッション。
彼は北アイルランドから来ていたのですが、去年のフラー・キョールのグルー
プ・キョール部門の優勝メンバーで、偶然再会するなりお互い去年の素晴らし
かったセッションが脳裏によみがえり、意気投合してセッションを開始したの
は午後3時頃。

彼の他にドーナルという、ハリー・ポッターそっくりの、これまた柔らかく
て本当にうまいコンサティーナ弾きをはじめ、友人達が6、7人位。
中心街から離れていただけあってまだ客もろくにいない状態でスタートしたセッ
ションは盛り上がり盛り上がり、だんだん疲れてきた頃になると今度はお客さ
んが増えて演奏をもっとと要求し始め、全く抜けられない状態に。
最後肉体の限界を感じて楽器ケースを閉めたのは何と夜中の1時過ぎ。
ノンストップで10時間にも及ぶセッションでした。

規模と質の両立という難しい問題をかかえているWCSSですが、こうした難題
がありながらも人々が集まってくるのは、何よりここに来れば普段遠く離れた
ところに住んでいる旧友と再会できるからという思いが人々の中に強くあるか
らだと、今回オーインとの再会を通して強く感じました。
フェスティバルは人々にとっていわば同窓会のような役割を果たしている訳で
す。
こうしたフェスティバルの機能については、実はこの次の週に開催されるサウ
ス・スライゴーはタバカリーの、ずっと小さなフェスティバルになるとさらに
強くなっていくのですが、それはまた次回のお話。