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能楽堂コラボ「音華の祈り」終了

ちょっと時間が経ってしまいましたが、11/3に梅若能楽堂でモンドパラレッロ歌劇団と能楽のコラボレーション公演がありました。

この歌劇団のオーケストラの一員として参加させて頂くのは今回で3度目。

 

・主演であり団長であるマリアセレンさんはソプラノからテノールまでを歌うとんでもない声域の持ち主で、性別を超越した圧倒的な存在であること。

・今回の公演のオケは弦楽四重奏+アイリッシュ・フルート&ティン・ホイッスルという不思議な編成。スローエアを除いてアイリッシュ系の音楽は全く演奏せず、演奏するのはほとんどクラシック系の音楽であること。

・共演の本職の能楽の方々は人間国宝を含む錚々たる顔ぶれであること。

・文化庁芸術祭参加公演であったこと。

 

等々、情報量が多過ぎて説明するのも難しいくらいなのですが、その中でこの公演で特殊だった点をいくつか触れておきたいと思います。

オペラの歌い手がお能の舞を舞う

さらっと書きましたが、これは簡単なことではありません。

お能を一度でもご覧になったことがある方は想像できるかと思いますが、お能の舞は意味のある動作を極限まで削ぎ落とした抽象的な所作で、ちょっと真似しよう位でトライするととんでもなく恥ずかしいものになります。

長年の稽古によってのみ築かれるもので、一朝一夕には行きません。

この歌劇団の、自分が参加した過去2回の公演では、その片鱗はあったものの、ここまで本格的に舞われることはありませんでした。

しかし、歌い手さん達は実は通年に渡って本職の先生に習っての稽古を三年間積み上げていたそうで、今回漸くそれを表に出してきたことになります。

勿論何十年も積み重ねている本職のシテ方の舞は圧倒的ですが、歌い手の方々も本業がオペラ歌手とは思えないくらい洗練された所作を身につけておられたと素人の自分には感じられました。

これをイタリア語で歌いながら舞うということがいかに大変なことか想像もできませんが、最初のオケ合わせの時に、指揮者、コレピティ、作曲家、お能のシテ方の先生、そして総監督から歌についてと舞についての指示が同時に飛び交う壮絶な現場を見てゾッとしたのをよく覚えています。

能楽と洋楽のコラボレーションというのはこれまでにもたくさんの試みがなされていますが、能楽の方々によれば、それぞれ別個に演じたり(順番に交互にも同時にも含めて)するのが普通で、一人の人がその垣根を越えて行き来したり、同時にやったりというのはやはり難しく、なかなかできないというのが悩みなのだとか。

歌い手の方々がいかに長い年月をかけてキャパシティを使って本気でお能に挑戦してきたかが窺われます。

総監督の植村文明さんご自身もお能に心酔し、自ら舞の稽古をされているそうですが、その温度感で初めて実現したコラボレーションと言えるでしょう。

アクシデントからさらなる進化が期待される二つの音楽の化学反応

今回中盤には本職の能楽のシテ方、囃子方が登場し、圧倒的な存在感を放っていました。

同じストーリーのあらすじを狂言役者が語り、オペラ歌手が舞いながら歌い、間髪入れずに能楽師がお能で表現する。

これはこれで非常に面白かったですが、今回は能楽囃子とオーケストラについてはそれぞれのジャンルを伴奏するに留まりました。

ところが、能楽堂で行われたゲネプロで最初に合わせた時に、間違えて能楽方が洋楽が終わる前にスタートしてしまうアクシデントが起きました。

事前にそういう展開だという話も聞いていなかったので、音が混ざり出した瞬間皆一瞬何が起きたのかと驚いたのですが、これがたまたまキーもタイミングも噛み合って双方が掛け合う形になり、その格好良さに雷に打たれたような衝撃を受けました。

「そう来るか、作曲家の武井先生は天才か?!」と思ったのですが、後で間違いだと判明w

しかし、武井さんも指揮者の田邊さんもあれはアリだよねとノリノリだったので、来年の再演の際には恐らくここももう一歩踏み込んで挑戦していくのではと期待しています。

ストーリーの情報量をミニマルに

今回が3回目の参加と述べましたが、前回は1つの完成されたオペラ作品、前々回はオペラハイライト的なコンサート形式の公演(その一部に後に続くオペラ作品の一部を抜粋して組み込む予告編的な意味合いもあり)でした。

今回はちょっと特殊で作品のあり方で言うとオペラハイライトに近いのですが、実は全体を通して通底するストーリーとメッセージ性がありました。

ざっくりと言えばコロナで亡くなった方々への鎮魂の歌ということになりますが、それをはっきりとは言っていません。

実は前回のオペラのストーリーも結構複雑な神話で、これ自体はプログラムにあらすじが書かれているのですが、その一部をバッサリと抜いてあったりしました。

こういう書き方は脚本を書かれている総監督の植村さんの癖なのかもしれませんが、自分にはかなりギョッとする省き方で、これでお客さんにちゃんと伝わるのか不安に思ってしまうのです。

ところが、それは杞憂だったようで、今回観に来て下さった知り合いのピアニストの方から終演後にすごく良かったという話を伺いまして、全部をストレートに言わないからこそお客さんの方に想像の余地を残すという形になっていたのだそうです。

なるほど、そういう風に見えるのならばそれは歌い手がお能の抽象的な所作を舞うということともつながってくる、全てを言わないから想像を妨げられない、わからない部分があるから惹き込まれる、全体の流れと個別の表現がちゃんとつながっているのだと妙に納得させられました。

3つの調べ

今回自分には、開演の直前、そして中盤の2つの重要なアリアのそれぞれの前の合計3箇所、3つの調べをアイリッシュ・フルートやティン・ホイッスルの独奏で奏でるという特殊な役割が割り当てられていました。

日常から非日常への転換、生の世界と死の世界の転換、物語の転換。

それぞれの場面の転換に合わせてそれに見合った伝統曲を組み込んだり、アリアの一部を抜粋してそれらと混ぜたり、即興的な部分を組み込んだりして構成しましたが、ちょうど能管の「お調べ」のような感じでというオーダーでした。

これが自分にとってとても面白く、有り難い役割だったのですが、不思議なことにやっていることは洋楽で、アイルランドの曲やオペラの作品を崩して吹いたりのはずなのですが、能楽堂という場所で、こういう公演の中に組み込まれて吹くと自然とそちらに寄せられるのでしょうね、聴いている側からするとあちこちが尺八、篠笛、能管といった和の笛に聞こえるそうです。

つまり、図らずも自分が邦楽と洋楽の交わるところの一番近くにいたようです。

何とも不思議で得難い経験をさせて頂きました。

本番当日は黒の紋付袴姿での演奏で、その着付けにもお能の本職の方が来られて着付けて下さるというような大掛かりな公演だったので、立ち位置によって全然違う見え方があったのだろうとは思いますが、脇で細々と吹いていた一笛吹からの視点を綴ってみました。

来年10月末にも再演があります。

さらに進化していく公演が楽しみでなりません。

お越し頂いた皆様、関係者の皆様、ありがとうございました。