伴奏インターンシップについて

昨年から『旋律奏者がお伝えする弾きやすいアイリッシュ音楽伴奏講座』という講座を担当させて頂いています。

単発で終わるかと思いきや、思いの外盛り上がり、反響もあり、4回完結のコースがなんとシーズン2に突入しました。

これだけ盛り上がりを見せていることには驚いていますが、需要があること自体については正直驚きはありませんでした。

少し長くなりますが、今日はアイルランドの伝統音楽における伴奏についてお話ししたいと思います。

 

ネットでざわついた伴奏論争とアイルランドの伝統音楽における伴奏の難しさ

昨年のある時期、日本でアイルランドの伝統音楽を演奏する人達の間で、伴奏者についての議論がネットで賑わっていた時期がありました。

極端にかいつまんで言えば、レベルの低い伴奏者はセッションに来てくれるなという話でした。

なかなか過激な発言でしたが、困ったことに言ってること自体は正論と言わざるを得ませんでした。

 

アイルランドの伝統音楽は、本来伴奏不在の音楽で、旋律奏者だけで人を踊らせるグルーヴをつくることが要求されます。

伴奏が必須ではありませんし、伴奏がリズムの根幹を担ってはいません。

旋律奏者一人一人が打楽器奏者並みのリズム感を要求されるのです。

旋律奏者は膨大な数の曲を覚えながら、旋律だけでグルーヴを出すためにとてつもない時間とエネルギーを割いて準備します。

それが集まって大きなうねりをつくるため、一見強烈に聞こえるグルーヴも実はかなり繊細で壊れやすいのです。

そこに、曲もよく知らない伴奏者が入ってきて、その繊細なグルーヴを汲み取れずにリズムを刻んだり、コードすら合っていないような伴奏をした場合には、あっという間にグルーヴは壊れ、音楽は台無しになってしまいます。

ベテランの旋律奏者であればそうした経験は一度や二度では無いはずです。

良い伴奏者が入ってくれた時の有り難さや高揚感は格別なものがありますが、ひどい時の破壊力が強過ぎてトラウマになり、もはやひどい伴奏者が入るくらいなら伴奏者は要らないと考えるのは十分に理解できます。

 

ただ、この時は言い方や書いた場所がベストとは言い難かったかもしれません。

影響力のある立場の人が、誰もが目にするSNSのような場所であんな書き方をしたら若手が萎縮してしまうと当の若手が噛み付いたのは立派でした。

これもまた正論だと思いますが、今はこの議論の正否について言うためにこの話を持ち出したのではありません。

この議論の続きをしたい訳では全くないので、どうぞこの話で突っかかってこないで下さい(笑)

それと、旋律だけでのユニゾンの美しさ、素晴らしさ、面白さを否定するものでは全くありません。

自分自身も旋律ユニゾン無伴奏大好きです。

それと比較してどうこうという話はしてませんので、それも突っかかって来ないで下さい(笑)

 

 

伴奏者育成の難しさ

さて、この議論が勃発する以前から、伴奏者がうまく育っていくことの難しさはずっと自分の念頭にありました。

旋律奏者の場合は一曲でも覚えたらセッションで歓迎されて応援されるのに、伴奏者はある程度のレベルになってから来てくれないと困ると言われる。

良き伴奏者になるためには旋律奏者と同じくらいの曲を知り尽くし、何なら旋律も弾けることが要求される。

つまり、旋律と伴奏の両方を学ぶ必要があり、ざっくり言って倍の時間と労力がかかる訳です。

しかも、伴奏スタイルが多様で、かっちり決まったものがないため、色んな伴奏を聴いて盗み、スタイルを模倣していくか、それらを組み合わせてオリジナルのものを構築していくしかありません。

教えるのも教わるのもとても難しいのです。

そして、これだけ頑張って準備してもセッションに入れるとは限りません。

セッションに既にコード楽器を弾く伴奏者がいる場合は入ることができません。

それぞれの曲に対してコードが決まっておらず、ある程度即興的にコードを並べていくため、複数のコード楽器奏者がいるとバッティングしてしまうからです。

各セッションにコードの伴奏者は原則1人まで。

バウロン奏者(打楽器奏者)も1人まで。

セッションホストに伴奏者が固定で入っている場合はその伴奏者と仲良くなって時々交代で入れもらうしか方法がありません。

ここまで入っていくハードルが高いのに、肝心のリズムを合わせる練習はセッションの場でしか経験できません。

なんという茨の道でしょう。

おまけにアイルランド本国のフェスティバルなんかでは、楽器のクラスがしばしば開校されますが、伴奏楽器のクラスは無いというケースもざらです。

一週間のフェスティバルの月曜から金曜の午前中から午後にかけて旋律のクラスが開校されますが、旋律が弾けない伴奏専門のミュージシャンだけが日中暇そうに街中をウロウロしているというのはよく見かける光景なのです。

一体伴奏者はどうやって成長していけというのでしょうか。

不遇の身であることは間違いありません。

 

アイルランドではちょっと前まで子供の数がとても多く、7人兄弟8人兄弟位はそんなに珍しくありませんでしたが、伝統音楽を演奏する家族の場合、上の子から花形の旋律楽器を選んでいきますから、大抵下の子が旋律楽器もやりながら、半ば押し付けられるように伴奏楽器を担当するというパターンはよくあったようです。

そうやって生まれた時から兄姉が弾く旋律を聞き覚え、兄弟でセッションしながら切磋琢磨し、伴奏者として成長していくのがアイルランドで一般的な形。

日本ではまず望めない形ですが、これに一番近いのは学生や社会人のサークルのように同レベルの人が集まって、一緒に成長していく形でしょうか。

クローズドなコミュニティなため、外的な脅威にさらされることなく、比較的平和に成長していける可能性があります。

そうではなく、突然一念発起して伴奏楽器からスタートしてセッションに参加しようという場合にはなかなかの苦難が待ち受けています。

誰でも参加できる敷居の低いハッピーな音楽と思い込んで(とりわけ伴奏楽器は勘違いしがちです)セッションに飛び込んだ日にはとんでもない目に遭う可能性は高く、怒られてトラウマを抱えるという経験をしていない伴奏者の方がもしかしたら少ないかもしれません。

それにへこたれず、通い続け、乗り越えて、立派な伴奏者になった人など、ほとんど奇跡の珍獣と言って差し支えないと思います。

まぁ本当に難しい道なのです。

 

 

伴奏者育成の遅れに関しての個人的な反省

さて、この状況自体はこの音楽が持つ構造上の問題なので、ある程度は仕方のないことなのかもしれませんが、実は自分自身のこれまでの活動を振り返った時に、この状況を助長まではいかなくとも、放置してきたという意味で責任の一端を感じる部分があります。

昔学生と共に立ち上げたIntercollegiate Celtic Festival、通称ICFは、ありがたいことにこちらの予想を超えて発展し、アイルランドの音楽やダンスを楽しむサークルがあちこちの大学に生まれ、今や東京のセッション、ダンスイベント、いずれも若い人達で活気にあふれ、しかも驚く程ハイレベルです。

ICFそのものも一時はコロナで継続が危ぶまれたものの、学生さん達によって今もしっかりと運営されています。

このフェスティバルに長い間伴奏講座をつくらなかったのが自分の中でずっと引っかかっていた部分でした。

まずは旋律楽器を全員やることという方針で伴奏者も全員いずれかの旋律楽器クラスに放り込んだという判断は、当時としては間違っていたとは言えないですし、もう一度やり直したとしても同じ選択をしたかと思います。

ですが、それでも教えること自体が難しい伴奏というものを、正式なクラスとしては認めずに、臭いものに蓋をしていただけなのではないかという思いを未だに自分の中で拭いきれないのです。

自分自身も旋律を知らない伴奏者が増えることに対して恐怖を覚えていたのは間違いありません。

でも、もう少し向き合って、前向きに捉えていたら、違った未来になったかもしれません。

 

伴奏講座のスタート

時が流れて前述のような議論を目にした時には自分の胸にも刺さるものがあり、しばらく頭の中でモヤモヤと考え続けました。

そして、今自分にできることはないか、そう考えてたどり着いたのが昨年始まった伴奏講座だったのです。

この講座は、コード理論を長々と一から紐解いたり、たくさんのスタイルを紹介してあとは自分で頑張って模索してねということが多い従来の形とは少し異なります。

一旋律奏者として豊田が何を伴奏者に一番やって欲しいか、逆にやって欲しくないか、これを具体的にお伝えして、最低限の材料でそれを形にしていきます。

実際に参加者が同じ曲に一周ずつ交代で伴奏をつけていって、どういうアプローチが有効か、他の人の伴奏がどう聞こえるかディスカッションもしながら一緒に模索していきます。

この講座は旋律奏者にも開かれていて、実際に時々旋律奏者の方も参加されています。

豊田と一緒に旋律を演奏することで、伴奏が変わるとどれだけ弾きやすさが変わるかを実感してもらったり、謎に包まれた伴奏者達が何を考え、何をやっているのかを知ってもらうのです。

そんなスタンスでこの講座を展開していますが、この講座をきっかけに伴奏者が成長していくに当たって足りないものが一つあります。

On the Job Training、実践経験です。

大勢の旋律奏者がいる中で、3時間、予め準備したものではない曲を、かなりの数、半即興的に伴奏をつけていく、こればかりはパブで実際に経験を重ねていく以外に方法がありませんが、前述のように現状その機会がかなり閉ざされています。

既存のセッションに入っていくことは簡単なことではありません。

 

 

インターンシップ制度の創設

長い前置きとなりましたが、ここからが本日豊田が発表したい内容になります。

一昨年からスタートし軌道に乗ってきている赤坂のアイリッシュ・パブCraicでの月一のセッションで、伴奏のインターンシップ制度を実施します。

ここのセッションは、ホストを月替わりの交代制にして色んな人に担当してもらっていて、3人のホストのうち一人は必ず伴奏者を置いているのですが、この2月からスタートするインターンシップ制度では、ホスト3人が旋律奏者(もしくはそのうち1人はバウロン奏者)、そして、上記の伴奏講座を受講した方々の中で希望者にちょっとしたテストを受けてもらい、パブでの実践レベルとして問題無いと判断させて頂いた方に、最低3回分(3ヶ月分)のセッションに伴奏者として入ってもらいます。

その後問題無ければ一回は正規のホストとして伴奏を担当してもらい、以降は他の伴奏者と同じように月替わりのホスト伴奏者の一人として時々伴奏を担当して頂く、こんな流れです。

既に一人目のインターンシップ生として早稲田大学のサークルわせけるの田代士紋君が2/18(日)のセッションから伴奏を担当する予定で、今のところ2~4月まで連続で入ることになっています。

なぜこのことをわざわざこうした形で発表したかというと、今後赤坂のセッションに参加される皆様にご理解・ご了承を頂きたいからです。

リズムやテンポで事故が起きる可能性は十分ありますし、知らない曲で伴奏が入らないということも普段より多くなる可能性があります。

それをご理解頂いた上で、生暖かい目で見守る形でセッションにご参加頂ければ大変有り難いです。

また、このインターンシップ実施期間中は、一般の伴奏者の方々は是非伴奏でなく旋律奏者としてご参加下さい。

そして、もし可能であれば、旋律奏者・伴奏者問わず、セッション終了後にでも、インターンシップ生に弾きやすかったかどうか、優しいフィードバックをして頂けたらさらに有り難いです。

皆様のご配慮とご支援、ご参加を宜しくお願いします。