題名のない音楽会

いよいよ、明朝12/23(土)AM10:00~テレビ朝日の「題名のない音楽会」でケルト音楽特集の回が放送されます。

スタジオ収録で、豊田耕三(フルート&ホイッスル)、マイキー・オシェイ(フィドル )、水上えり子(イーリアン・パイプス)、久保慧祐(ギター)の4人が出演しています。

傍から見ると華々しい感じもするでしょうが、今回は結構センシティブな問題もたくさん含まれています。
番組の告知文には“若者の間でケルト音楽が流行っている”なんて書かれ方をしているので、昔からアイリッシュ音楽をやっている愛好家層にはなぜ“ケルト”という言葉なのかとか、“流行り出したのは今に始まった事ではない”とか色々思われるところはあるかと思います。

今回扱うのはアイリッシュ音楽だけではありません。
アイルランドやスコットランド、ブルターニュなど、いくつかの文化圏をまとめてケルトと呼ぶ呼び方は、考古学的な用法、レーベルによる商業主義的な用法などあり、さらに最近ではそもそもの民族的つながりの根拠が無かったなどの研究結果まであり、なかなか難しい言葉ではあります。
ですが、今回はその一つであるアイルランドの伝統音楽だけでなく、ケルト系の音楽から派生して、その影響を受けて日本でつくられた音楽を、特にその代表としてゲーム音楽を取り上げています。

ゲームやテレビ、映画などでこうしたテイストの曲がつくられ、使われることは今や新しいことではなく、その数の多さから言って既に新しいジャンルを築いていると言っても過言では無いとライターのおおしまゆたかさんはおっしゃっています。
また、それによって源流であるアイリッシュなどの音楽に興味を持つ、場合によっては自ら習得しようとすることは珍しくなく、実践まで至らなくてもそういった形で興味を持つ人の数は昔からアイリッシュ音楽を日本のセッションなどで演奏して楽しんできた層の数と比べると何百倍、何千倍にもなるでしょう。

現在はそれに加えて、大学生がフェスティバルや大学のサークルなどでアイリッシュの音楽やダンスに出会うケースが格段に増えています。
その数ですら従来の愛好家層の何十倍、何百倍規模です。

これらは既に起こっていることであり、無視できる規模ではありません。
アイルランドの伝統音楽を習得するという観点から見てこうした兆候が良いことなのか否か、正しいのか否か、どちらが本物なのか、どちらが主流なのか、そういった議論は古くからの愛好家層の間で当然巻き起こるでしょう。
その答えは自分にもわかりませんし、それを議論し判断する必要があるかすらあやしいと思っています。

日本におけるアイリッシュ音楽の受容という意味では今はまだまだ過渡期。
それはクラシックやジャズなんかと比べても明らかです。
そのような過渡期には歪みが生まれることもあるでしょうが、若い世代の人達は、彼らなりに試行錯誤してアイリッシュ音楽を楽しんでいくでしょう。
たくさんの人が携わるようになれば、保守的な人も革新的な人も出てくるでしょう。
そうやってバランスを取っていくものだと思います。

伝統を守るということは今あるもの盲目的に受け継ぎ、引き継ぐことではない、大事なのはその精神を守ることで、それには時に時代や文脈に合わせて変えることも必要である、こういう考え方の人達に僕は共感します。
その意味では本当に楽しそうに楽器を弾き、ダンスを踊る学生の姿は、形はどうあれその精神をしっかりと引き継いでいるように見えますし、ただただそれだけで眩しいものがあります。

そんな彼らに、またそれだけでなく、漠然と興味を抱くより幅広い層の方々に、少しでもこうした文化を楽しむ機会が増えて欲しい、そんな思いで番組のプロデューサーと何度も議論を交わし、また、一方でできるだけ変な誤解を生まないようにバランスを取ろうとしたつもりです。

このプロデューサーもまた大変勉強熱心な方で、それを汲み取るべくあちこち取材をする一方で、テレビ番組の見せ方として要求される側面があり、葛藤されたはずです。実はアイリッシュに限らず、“伝統音楽”のようなものを取り上げる時はいつでもこうした問題は起こるそうです。
きっと全ての人にとって都合よく欠点のない番組にはならないでしょう。
そんなことは不可能だと思います。

最終的にどう切り取られ、たった30分にどう凝縮されるのか、僕にもまだわかりません。
もっと言えばうちにはテレビもないのでリアルタイムですら見られません(笑)

ですが、もうこんな機会もそうそう無いでしょうから、そんなことを踏まえながら是非生温かい目でご覧下さい。